ジーンズの三つの条件って知ってる?
中古のジーンズが100万円もするんだよ
知ってるようで知らないジーンズのこと
「赤耳」のこと知ってる人はマニアだな
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ジーンズ専科

BY F.CHUUDOKU

















■ヴィンテイジ・ジーンズのことを知ろう
 
 古い年代物のジーンズのこと。ジャケットなどはヴィンテージ・デニムと呼ぶ。1980年代中頃まで
に力織機で生産された29インチ幅のデニムを使用したジーンズで、生地の端にセルヴィッジ<耳>
ができる。マニアたちは、「リーヴァイス501XX」だけがヴィンテージ・ジーンズだと言い切る。リーヴ
ァイス501XXは中古衣料品店で50万円以上で販売されている。
    
  ヴィンテイジ・ジーンズというのは、早い話が誰かがはき古した中古品である。しかし、100万円
も200万円もするものが、ドンドンと売れてしまう。品不足のために売り手市場なのである。マニアの
中には、大枚はたいて買ったものを完全密封して仕舞い込んでいる連中も少なくない。ファッション
のアイテムの中で、ここまで若者を熱狂させるものは他にないだろう。
      
  ヴィンテイジ・ジーンズが、どうしてマニアのコレクションの対象となったのだろう。その理由は簡単
で、例え30年前のものでも着用可能だからである。各時代の最強のデニムが素材となっていて、縫
製された糸も強く、付属のボタンも錆びないし割れない。そのうえにカパー・リヴェットで補強されてい
るので、大切に扱えば50年以上はき続けることが可能である。50万円で買ったとしても、一年に
つき1万円しか使わないので、けっして高い買い物にならない。    

 最初に書いたセルヴィッジ<耳>であるが、米国のヴィンテイジ・ジーンズの業者間では、日本語
のAKAMIMI<赤耳>が業者言葉として使われている。英語ならレッド・ラインかレッドセルヴィッジにな
るところだが、日本語の赤耳が定着している。この赤耳はデニムの生地幅と関係があった。大手の
デニムの製造会社が、1983年までは主に29インチ幅のデニム生地を織っていた。リーヴァイ・ス
トラウス社向けのものに限って、生地の端に赤いラインを織り込んでいたのだ。この生地がXX<ダ
ブルエックス>と呼ばれたのである。83年以降は大量生産のために生地幅が61インチになり、生
地幅の関係で赤耳も消えることになった。ジーンズを裏返して赤い糸のラインがあれば、リーヴァイ
スのXXということになる。

  最初にヴィンテイジ・ジーンズの価値に気付いたのは、意外にも日本人であった。80年代の初め
にヒラノという日本人が、中古ジーンズに興味を持ち、全米を回ってデッドストック<売買されな い在
庫>を仕入れてしまったのである。それが今では、米国でもヴィンテイジ・ジーンズに人気が集まり、
日本から逆輸入するかたちで中古ジーンズの専門店が増え出した。そうした現象はファッションの本
場のフランス にも飛び火し、ヴィンテイジ・ジーンズ熱が高まりつつある。そんなヴィンテイジ・ジーン
ズのブームの火付け役は日本人のヒラノであり、日本は間違いなく先進国なのである。           
     




知って損はしない
ジーンズの基礎知識

■ジーンズを完成させた男

  ジーンズが完成したのは、1870年頃だそうだ。そもそもジーンズとは何か?ブルー・ジーンズ
とは、最低三つの条件を満たしていなければならない。その一つはブルー・デニムを使っているこ
とだ。これは誰でも知っていることである。

  二つめは何かというと、ポケットの数が五つあることだ。これを「ファイブ・ポケット」と呼んでい
る。三つめは何かというと、ジーンズのあちらこちらに打ち付けられた銅製の鋲である。これを「カ
バー・リベット」と呼んでいる。補強するために打ち付けられている。

  さて、どうしてジーンズの場合は、鉄じゃなくて銅のリベットを使うのだろう?鉄の場合はさびる
けれども、銅はさびないし、銅の適度な硬さがジーンズに合っているそうだ。

  1870年以前にも、ブルー・デニムを使った作業ズボンは存在したらしい。「ファイブ・ポケット」
も存在したそうだ。ただ一つだけ、銅製のカバー・リベットだけが存在しなかったのだ。それじゃあ、
いったい誰がカバー・リベットをデニムの作業ズボンに打ちつけたのだろうか?

  それは米国ネバダ州の小さい町の仕立て屋の男だったそうだ。その仕立て屋にカバー・リベッ
ト付きのデニムの作業ズボンを注文したのは、近くの木こりの男の女房だった。主人の仕事のた
めに、どうしても丈夫な作業ズボンが必要だったからだ。こうして現在のブルー・ジーンズの原型が
完成したそうである。


米国水兵はジーンズをはいていた

 第二次世界大戦中の米国水兵はダンガリー・ズボンをはいていたそうだ。「ダンガリーズボン」って
いったい何のことなのだろう?アメリカの生地辞典でダンガリーを調べると「作業着に用いられる厚
手のブルー・デニム」と書いてある。ブルー・デニムが素材の作業ズボンということは、ブルージーン
ズと似ている。戦後、上野のアメ横の古着屋に集まったブルージーンズというのは、もしかしたら米
国水兵がはいていたデニムズボンなのかもしれない。
                
 デニムは水をくぐって乾く時に縮んでしまう。ということは、濡れたジーンズをはいたまま乾かせ
ば、体のシルエットに合わせて、たくさん縮むところと少ししか縮まないところが出てくる。各自の体
に合わせてジーンズがシルエットを作ってくれるのだ。

 アメリカのカウボーイたちは、暑い日に新品のリーヴァイスをはいて川の中へ入ったらしい。そうす
れば、デニムの収縮性によって、体にフィットしたシルエットのジーンズが出来上がる。どうしてカウ
ボーイがそんなことをしたかというと、ジーンズをジャストフィットさせる必要性があったからだ。ズボ
ンにタルミがあると、馬の乗り心地が悪いだけじゃなく、脚に血マメや傷ができやすい。体にフィット
したジーンズは、乗馬のために必要だったのである。

       
■ジーンズはニット製品

 意外な感じがするけれど、ジーンズはニットの部類に入る。「ニット」は英語で「編む」という意味に
なり、編まれたものの総称になる。繊維大国の日本製デニムの品質は、今や海外でも認められる
ほどになった。一年の世界での需要が十七億本になった現在、日本製デニムは本場のアメリカに
輸出されるまでになった。
                  
  日本でデニムが生産されるようになったのは、70年代からだ。日本でもジーンズがつくられるよ
うになった時である。それまでは輸入デニムを使っていた。日本国内でのジーンズ生産本数は、70
年代は1,000万本程度だったが、最近は7,000万本を越えている。それだけジーンズが日本人
に定着したということだ。
                
 日本でのジーンズ業は、戦後になって米軍が放出した中古衣料から始まった。当時のアメリカ
は、日本の若者にとっては夢の国で、中古でもあっと言う間に売り切れてしまった。俳優のジェーム
ス・ディーンの人気もあって、リーゼント、革ジャンに、ジーンズが日本の青年を夢中にさせた。

 日本のデニムの主な生産地は岡山県で、岡山のデニムは世界に輸出されている。品質、納期、
供給力など、総合的に世界屈指の規模と力を誇っている。岡山というのは、確かユニクロの社長の
出身地で、昔から繊維関係が地場産業になっている所である。アメリカ製のジーンズに、日本製の
デニムが使われていても不思議じゃないってことだ。


■ジーンズは貴方の分身になる
 ジーンズの大きな特徴に、「アンコン仕立てのパンツ」という点がある。裏地や芯地を極力使わな
い仕立て方のことだ。ほとんど全て一枚のデニム地だけで構成されている。それだけ型紙が実に
良く考えられていることになる。なによりもデニムそのものが自立可能な生地なのである。

 デニム一枚で仕立てられていると、どんなメリットがあるのだろう。家庭での洗濯が可能になる。
裏地や芯地に木綿などの別の生地が使われていると、簡単に洗って干すことが出来ない。はき込
んで汚れたジーンズを洗うと分かることだが、水に濡れて陽に当たると、ジーンズはその都度生き
返る。

 仮に三つ子に同じジーンズをはいてもらったとする。三ヶ月も経てば三本のジーンズはまったく違
った形と色になる。それぞれの脚の形や脚の動き、体の癖が、ジーンズに刻印されるからだ。半年
も経てば、世界で一本だけのジーンズが生まれることになる。


■ヒッピースタイルが日本にジーンズを定着させた
 ヒッピーとは66年頃にアメリカに登場した若者たちの集団である。体制社会からドロップアウト
し、孤立しながらも自由奔放に群棲した。安くて実用的なTシャツとベルボトムジーンズが彼らの普
段着であった。ヒッピーの男たちは、体制社会のシンボルであるスーツを否定し、女性たちも開放
的なファッションで身を包んでいた。

 そうしたヒッピー・ファッションが日本でブレークしたのは、68年頃だった。ヒッピーそのものの影
響より、当時のロックバンドのコピーといった方が当たっている。数万人のヒッピーが集ったウッド
ストックのロックコンサートの映画がきっかけとなった。

 ヒッピー・ファッションは結果として、ジーンズとTシャツを日本のヤングに定着させた。当時は大
半がジーンズのことをGパンと呼んでいた。戦前の日本人はジーンズをまったく知らなかった。50
年頃、米国の駐留軍の兵士たちが、休日にジーンズをはいて日本中を歩くようになった。その時
に初めてジーンズを見たのだ。兵士のことをGIといったので、GIがはくパンツだから「Gパン」にな
ったのだ。

 50年頃にGパンに憧れた当時のヤングたちは、東京御徒町のアメ横で、GIたちが横流しした中
古ジーンズを手に入れた。50年後半には、ジーンズも日本の男性の間で流行し始めた。全てが
アメリカからの輸入品であった。

 そして68年頃にヒッピー・ファッションの影響を受けて、ジーンズが日本の若者の間に定着した
のだが、ベルボトム派とストレートジーンズ派の二つに分類された。リーバイス14オンスデニム50
1はストレート派の間でブレークした。股上が浅くてベルトの位置が低く、幅広のベルトがヒップボ
ーンまでずり下がる。そのスタイルは当時のズボン下げ族がスカマン・スタイルにして流行させた。

BY F.CHUUDOKU
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